世の中にデザインされていないものは無いと言われるくらい私たちの周りにはデザインが溢れています。確かにあれもこれもデザインなんですが、世間一般にはファッションデザイン、建築や物自体の形のデザイン、そして平面的なグラフィックデザインという大きく三つに大別されて認識されていると思います。つまりは目に見える「意匠」という言葉に集約される意味で認識されています。

僕自身も「意匠」という認識でデザイナーになりましたし、多くのデザイナー達もおおよそその枠の中で仕事をしていると思います。でも、現在のトップランナー達はそうは考えていないようです。デザイン物が社会の中でどのような位置にあるか、あるいはその立ち位置を前もって計画したりしながら、その空間やシステム自体を構築することをデザインととらえているように感じます。もちろんそれらのことは漠然と考えないことには意匠もできないわけですが、自分の好みの押し付けに、後からこじつけられることの方が多いのかもしれません。

もともとdesignの語義は「意匠」よりも「意匠の前に行う構想や計画の思考」を指していたらしいので、どちらをデザインと定義しても間違いではないと思いますが。

少し目線を変えて「デザインの役割とは」という角度から考えてみます。

私たちのように最終的に報酬を得るデザインはクライアントから依頼されることから始まります。依頼者は「物を売る」ために、あるいは「環境を良くする」ためになど、今よりも改善された未来を望んでいます。デザイナーは「売れるデザイン」を考え、結果的に売れればある意味正解なのです。

でも長年デザインに係わってくると、実はそこに落とし穴があるのでは?と思うことがあります。デザイン分野にもよるので十把ひとからげには言えませんが、「売れる」だけで本当にいいのか?ということです。カッコいいんだけど使いづらい物、中身と明らかに差異のあるパッケージ、JARO(日本広告審査機構)に訴えられる物以外でも世の中には首を傾げたくなるような物も氾濫しています。

この職業に携わった当初からおぼろげに感じていることがありました。

結果的にクライアントの利益が出ないことには、以降のデザインの仕事は発生しません。だからといって、粗悪な物を飾り立てて(悪く言えば、それを購入するお客様を騙して)利益を追求するということがあってはならないということです。この理屈は全てのデザインに当てはまると思います。例えば、辛い食べ物を甘いと思わせるデザインをしてはいけないということです。時にはクライアントに意見することも必要でしょうし、場合によっては仕事を断る勇気も必要だと思うのです。

本当に便利なものが、本当においしいものが、本当にいいサービスが、「本当にいい」と伝わるデザイン(システムも含め)で構成される。「意匠」をする前に、こういうことを忘れないように取り組みたいと思っています。すぐに利益が出なくても、正しいデザインは必ず人の役に立ち、最終的に利益を生むはずです。